発達障害を持つ子の子育て|私に起こった変化 その2 「他人の目を気にしない」

ハートのモチーフを手渡す写真 子どもと私

※この記事は2025.9.27に投稿したものを2026.5.9にリライトしたものです。

子どもが外で大きな声で話続けている時。

すぐに不機嫌になって愚図って聞かない時。

私はいつも、
「周りにどう思われるだろう」
と言う気持ちと戦っていました。

そんな私の視点が、発達障害を持つわが子たちを育てる中で、変わってきています。

それは、
「他人からどう見えるか」より、
「この子にとって何が大切か」を考えるようになったことでした。


↓↓このお話はこんな人に読んでいただきたいです。↓↓

  • 子どもの外での行動に疲れてしまう。
  • 周囲の視線が気になってしまう
  • 子どもをつい強く注意してしまう。
  • 発達特性を持つ子の子育てに自己嫌悪を感じる

他人の目を気にしない

発達障害をもつ子の言動と「他人の目」との葛藤

皆さんは、周囲の反応が気になって子どもを注意してしまうようなことはありませんか?

子どもと外出すると思うのですが、特性を持った子どもは、時に周囲に理解されにくい言動をとることがあります。

我が家の場合は、
外でも構わず歌い出したり
キャラクターになりきって話し続けたり
積極的に他人に話しかけたり
かと思ったら突然恥ずかしがって何も言わなかったり
突然思いもよらないことで癇癪を起こしたり

こういう時、親としては、
周囲の視線が気になって、思わずやめさせようとしてしまう気持ちが出てくることは無いでしょうか?

私の場合で言うと、もともと周囲の目が気になるタイプでした。

だから、なおさら自分が子育てをするようになってからは、
周囲の目を必要以上に気にしないよう心がけていました。

子どもには親が誰のために怒っているか、それがわかると感じていたからです。

しかし、いざ子育てを始めるとそううまくはいきません。


まだ、「発達障害」を知らなかった頃。

なんだか伝わらない。
伝わったと思ったのにまたすぐに同じ行動をする。
といった子どもの態度にとても混乱していました。

また、特性を持った子の子育ての場合難しいと感じるのは、
” 年齢が上がるほど、周囲との差が見えやすくなること ”
ではないでしょうか?

定型発達の子より、心や脳の成長がゆっくりなことで、
本来ならそんな注意をしなくてもいいと思われるような年齢に見えるのに、
注意しないといけないことが出てくる。

そんな時、
どうしても周囲の目が気になるという葛藤
が私にはありました。

我が家の長女の場合は、小学3年生の頃にその問題が大きくなってくるのを感じました。

他人から見ると「不思議」さを感じることがあるだろうなと感じるていました。

例えば長女は他者比較が弱いためか、幼い言動が目立ちます。
また、キャラクターを演じたり、
次女をキャラクターに割り振ってそのキャラクターの名前で呼んだりするので、
つい周囲の目を気にしてちょっと焦ります。

次女の場合は、感覚の受け取り方の特性なのか、
バスで隣に座る長女が少し触れただけでも、
押されている」と感じ怒り出すことがあります。
今はさらに成長して主張することを覚えた分、その抵抗が激しく、長くなります。

そんな、外からは「何故」?と思わせるような反応がたくさんあります。

私には何が起こっているのかわかっているし、いつものことです。
ここで「やめなさい」や「静かにしなさい」が逆効果だったりすることもわかっています。

ですが、つい注意もできない親だと思われてしまうという周囲の目を気にするあまり、
説明的な言動をしてしまいたい気持ちとの葛藤が出てきます。

そんな親の姿は、「自分たちではなく、体裁のために怒っている」
と、子どもたちはきっとわかるんだろうな。
と思うところもありました。

自分の経験が子どもたちの現状と重なった

少し私の持病の話になります。

私がまず、子どもたちの発達障害について気づいたとき、
本人たちにもどうにもできない違和感があるのだろうと思ったことが、
自分が持病でもどかしさを体験してきたことと重なりました。

何か特別に違うと思われること

自分でも「違い」を感じさせられること。

「普通と違う」

そう思われるもどかしさや、
人には説明しづらい違和感。

その人それぞれに当たり前があって、その違いに優劣なんてないと思うけれど、
ついつい優劣をつけてしまう社会。

これから、この子たちはどんどんとそれに触れていく事になる

その感覚はふとした時に出てきて孤独を抱えてしまうかもしれない。
誰も何も悪くはないのに、どうにかしないといけないと思ったりするかもしれない。

感覚的な話になってしまいましたが、

「違い」は優劣ではなく、ただの違い。

社会はどうしても優劣をつけがちだけれど、それに流されない視点が大切だと私は思います。

つまり、自分が多くと違いを感じた時に「自分が自分でいられる自己肯定感」を育んでいってもらうことが子育ての大切な視点になるんじゃないかな?

私はそう思いました。

周囲の目 vs 子どもへの配慮

そうやって考えると、
「周囲の目」と「子どもへの配慮」は
並べずとも、どちらが大切かは私の中で明確になりました。

もともと他人の目を気にする性格だった私ですが、
こうして
「他人からどう見られるか」ではなく
「この子にとって何がベストか」で判断できるようになっていきました。

「わかりにくさ」を理解しようとする存在になりたい

発達障害のある子どもたちは、これからきっとたくさんの「違和感」に出会うことになると思います。

何かが少し違うだけで、「変だ」と見られる社会。
本当は違わないのに、わかってもらえない孤独。
その他大勢。
過半数。
その意見はとても大きい壁になってしまう。

でも本当は、

” ただ数が多い “だけなのかもしれない。

そんな社会の中で

「違い」を「ただの違い」

と認識するためには、

「わかってくれようとする存在」があること

が大切なように感じています。

そういう人がいて、子どもたちが安心して成長していければ、
子どもたちが自分で” 違和感を排除しない人たちと出会っていける未来 “があるのではないか
とすら思います。

その可能性を感じさせてあげられる存在になりたい。
そう私に思わせてくれた子どもたち

つい、ガミガミ怒ってしまう私だけれど、
「こうやって親になっていくんだな」なんて時折思いながら、
子どもたちに感謝をするようになりました。

まとめ

以前の私は、
「ちゃんとしている親に見えるか」
をどこかで気にしていました。

だから今よりもっとうまくいかなかった。

けれど今は、
「この子たちが安心していられるか」
を大切にしたいと思っています。

もちろん、今でも周囲の目が気になる日はあります。

それでも、子どもたちの ” 人との違い ” を否定するより、
その違いごとわかろうとしてくれる居場所でありたい。

そう思わせてくれた子どもたちに、私は今日も育てられているのだと思います。

↓↓ 「外で怒る」ASD次女の癇癪に対応する際に思った事が書かれている記事です。 ↓↓

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よかったら、ほかのエピソードにも寄り道していっていただけると嬉しいです。↓

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