※この記事は2025.10.4に投稿したものを2026.5.11日にリライトしたものです。
↓↓このお話はこんな人に読んでいただきたいです。↓↓
発達障害の子育てで気づいた「べき思考」
私はずっと、
「○○しなければならない」と思って生きてきました。
家事を終わらせなければ休んではいけない。
子どもを優先しなければいけない。
自分のことはすべて終わってから。
気づけば、
” やるべきこと ”ばかり選び続けていました。
そこに不満があると自覚もせずに、
ずっとそうするべきだと、
そうでなければ母親失格なんだと思っていたと思います。
実は、私の場合、
「いったん立ち止まって日常の動き方を考えた方がいいよ」
と、体が教えてくれていたんだと思います。
私が発達障害に気づく3年ほど前から、
持病の方は正直、悪化していました。
ますます立つことが辛くなる一方で、
日々の家事に全く追いつけないでいました。
休むにはどうしたらいいのか、あれやこれや努力しようとしていたのですが…。
駄目ですね。
気づけば私は、
「休む理由」を探すより、
「どうやって無理を続けるか」
ばかり考えていました。
『発達障害』を通して、
自分がたくさんの『こうするべき』にとらわれていること
に気づくまでは。
ASD傾向の子どもたちとまじめな親のすれ違い
子どもたちはある意味、自分のペースで好きなことばかりします。
今やりたいことをして、
次を見つけたらまた他は目に入らなくなって。
を繰り返していくイメージです。
やりたいことをやり、
忘れたら忘れっぱなし、
宿題も生活習慣も後回し。
何度、声をかけても行動に移れないことは日常茶飯事です。
これがあるので、
片づけに目が向かなかったり、
時間が気にできなかったり、
本気で宿題を忘れたりする。
手がかかるところです…。
一方の私は、
家のことも、
子どもたちのことも、
周りのことも、
「ちゃんとやらなきゃ」
が強いタイプ。
それが自分の性格であることはわかっています。
「でも…でも….もうちょっとでいいから自分でどうにかして!!」
無駄にイライラしてしまいます。
そんな私が、
子育てをするステージに立って、
気質的に自由奔放な人たちに囲まれることになる。
私は最初、
「気質だからといってもいい加減、限度がない?」
と思っては考え直して…。
身体の痛みのために、
夕食を運んでは、食卓でダウンする私に見向きもせず、

ママ、お茶~!

いや、お茶くらい自分で入れようよ!
(昭和のおやじかよ!)
そんな日常なので、ある時こう思いました。

くそっ!それなら私もやってやる!!
そうです。初めは逆ギレだったように思います。笑

じゃあ、私も自由にするわ!
私はまず ” やらないこと ” に努めました。
と言っても、家事を放棄するわけではありません。
性格上、それくらいの意識がちょうどいいかもしれないと思ったんです。
・掃除機をかけられなかった日は、埃を目の端で無視して、「そんな日もある!」
・食器が山積みでも「今日はできない!仕方ない!」
・トイレ掃除も毎日のことは”適度”に
子どもたちに対しても、
つい、言ってもなかなか行動しないので
最終的に手を出してしまいがちなことを我慢しました。
・子どもたちのおやつ後のテーブルのゴミは、
適度に声掛けしながら自分で捨てるまで待つ。
・学校から帰ってきて、
足の踏み場もないくらい広げたランドセルとその中身を、
自分で片づけるまで置いておく。
「やらないこと」を意識すると、
「ま、いっか」と、
適度に家事をすることが少しずつできるようになってきました。
「ちゃんとしなきゃ」が親自身を追い詰めていた
家事はすべてきちんとクリアしないといけないものじゃない。
動けないときは、座ってできることや自分の趣味に充てればいい。
そうしていくうちに、
やらなければいけないことをこなさないと自由時間が無い
と思っていた私が、
案外、間に休憩や趣味をはさんでも、
最低限のことはできるものだ
と思うようになってきました。
そんなに厳しくしなくても、
むしろ、ゆるーくしても
実は一日にできることにそんなに大差はなかったんです。

ああ、この子たちのように楽しいことを求めても、間に必要なタスクをはめていけば案外できるものね。
そうやって少しずつ、自分の「べき」をゆるめることができてきました。
そうすると、
子どもたちのこともそんなに怒らなくてもよくなりました。
私が子どもたちに口うるさく言ってしまうのは、
いつもぎりぎりまで続く心配に嫌気がさすからです。
私が、そわそわするのがストレスだから
準備をさっさと済ませてほしい。
結局自分のストレスになるだろうことを先に想像して怒っているんだな。
という事に気づいたりもしました。
「ちゃんとしなきゃ」は必要ないと思った
そうやって、少しずつ自分の「こうするべき」の思考がほどけていく感覚。
そんな日々の中で、
子どもたちを見ていてふと思ったんです。
ああ。
「今を生きてる」って、
こういうことなのかもしれない。
って。
少し振り切った考えなのかもしれませんが、
この子たちみたいにやりたいことに気をとられまくって、
周りが根気よく促して何とかする毎日だけど、
逆に言うと、それで最低限出来てるじゃない!と。
その時の流れで必要なことを楽しみながらこなしていく。
それでいいんだな。
いや、
それがいいんだな
と思えました。
そうすると、
自分がいかに、
「がんじがらめで生きているか」
ということが感じられました。
私はずっと「やらなきゃいけないこと」に追われて、
自分のやりたいことを後回しにしてきた人生だったな。
それ以来、私自身も
「できるときに、できることを、できるだけでいい」
と潔く考えられるようになりました。
その結果、生活環境が悪くなったかと言うと、逆でした。
不思議なことに、
「全部ちゃんとしなきゃ」
と力んでいた頃より、
一日に使える時間が少しずつ増えてきていると実感しています。
意識のむけかたを変える
日々の行動って意外と意識していないのかもしれません。
私は、いろんな対策を考えているようでずっと空回りしていました。
「どうやって全部やるか」ばかり考えて、
「全部やらなくてもいい」
という発想が、私には無かったんです。
なんだか、何をやっているんだっていう2、3年間を過ごした私…。
これって、特に身体的な不自由などが無い人の場合、
私よりもっと「休んでね~!」っていうサインというか、そういうことに気づきにくいのでは?
と思ったりもするのですが、どうなんでしょうか?
まじめな人ほど、何気ない体調不良を抱えてしまっても、
気づきにくいのではないかな?
ともあれ、わからずやの私の場合は、
発達障害を知って子どもたちに向き合い直していく中で、
どうやってそれをするかではなく、
今必要か、そうでもないかという選択肢がある
と、やっと気づくことができました。
それって本当に「しなければならない?」を問いかけることって、
ママにはとても大切かもしれません。
まとめ|完璧じゃなくてもいい
私が子どもたちから教わったのは、
完璧にできなくても問題ない。
ということ。
怒るけど 笑
イライラするけど 笑
それも私だから。
「ちゃんとしなければ」
だけで自分を追い込むより、
自分に合った「ま、いっか」を探りながら、
子どもたちと歩んでいけたらいい。
そうすれば、子どもたちも
自分に合った「ま、いっか」を使える人になるかもしれない。
それが子どもたちの生きていく世界を素敵にするかもしれない。
なんて思います。
子どもたちを育てながら、
私自身も、少しずつ生き方を教わっています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よかったら、ほかのエピソードにも寄り道していっていただけると嬉しいです。↓


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