発達障害を持つ子の子育て 私に起こった3つのいい変化 その3 「~しなければならない」

子どもが四葉のクローバーを持っている写真 日常 ー 学び

「日常ー学び」では発達障害を持つ我が家の姉妹のエピソードや、そこから学ぶことと、ちょっとクスっと笑える日常の会話など、息抜きになるようなお話も書けたらと思います。

今回は発達障害の子の子育てを通して、私に起きたいい変化の3つめについてのお話しです。

子どもたちと向き合いながら、自分自身とも深く向き合うことになったこの数年間。
その中で、私は「~しなければならない」と自分が思ってきたことに気づかされました。

それって本当に「しなければならない?」を問いかけることってママにはとても大切かもしれません。

↓↓このお話はこんな人に読んでいただきたいです。↓↓

  • 毎日時間が無い!!!とよく思う。
  • 出来ていないことに目がいってしまう。
  • 発達障害児のできないことに気落ちしたり心配してしまう。
  • 子どもをすぐに怒ってしまう。
  • 子育てに嫌気がさしてしまう。

良い変化 その3 「~しなければならない」からの脱却

「~しなければならない」に縛られ続けた私

私はこれまで、「○○しなければならない」と思い込んで生きてきました。

私は振り返ると子どもの時からこうすべきと言う考えを優先させてきたように思います。

そして母になり、子育てをするようになった私は、そのまま自分のことを後回しにすることが母親だと勘違いしていたところがあったと思います。

何も、常に後回しにしている!!とか、これをさせられてる!!とは思ってはいません。けれどふと気づいたときに、しなければならないことばかり選び取っていたなと思うんです。

持病のある私にとって、「やるべきこと」は常に体へのダメージと隣り合わせでした。

それでも、最低限はしないといけない。手を抜けない。

一方、発達障害を持つ子は状況をくみ取れず、ちち(夫)は手伝い方がわからず呼びかけ方もわからず、サポートはあまり得られません。

気力が1ミリでも残っている限り自分は大丈夫。

そう思っていると、どんどん体の不自由は増えていきました。

でも、そんなことでは当然限界は来ます。

実は、私の場合は、いったん立ち止まって日常の動き方を考えた方がいいよと体が教えてくれていたので、発達障害に気づく3年ほど前から休むにはどうしたらいいのか、あれやこれや努力しようとしていたのですが…。

駄目ですね。結局、どれだけ這いずり回るスピードが改善できるか(これはできません。完全気力問題!)とか、どうやって効率をよくするかなどを考えて、家事に対しての意識の向け方という選択肢があると思っていなかったので効果はありませんでした。

そうなんです。何をやっているんだっていう2,3年間を過ごした私

これって、身体的、精神的な不自由がなくたって、その分明確な指標がなくて何となく体調不良を抱えたまじめなママさんなんかはもっと気づきにくいのではないかな?と思ったりもするのですが、どうなんでしょうか?

ともあれ、わからずやの私の場合は発達障害を知って子どもたちに向き合い直していく中で、どうやってそれをするかではなく、今必要か、そうでもないかと言う選択肢があるとやっと気づくことができました。

子どもたちの「今を生きる姿」に教わったこと

子どもたちはある意味、自分のペースで好きなことばかりします。

今やりたいことをして、次を見つけたらまた他は目に入らなくなって。を繰り返していくイメージです。

やりたいことをやり、忘れたら忘れっぱなし、宿題も生活習慣も後回し
何度も声をかけても行動に移れないことは日常茶飯事です。

これがあるので、片づけに目が向かなかったり、時間が気にできなかったり、本気で宿題を忘れたりするので、手がかかるところです…。

一方、はは はと言うと、家のこと、子どもたちのこと、周りのことを何が何でもできる限り完遂しようと努める。それが自分の性格であることはわかっています。でも…でも….もうちょっとでいいから自分でどうにかして!!

はは
はは

無駄にイライラ

そんな私は子育てをするステージに立って、気質的に自由奔放な人たちに囲まれることになる。

私は最初、「気質だからと言ってもいい加減限度がない?」と考えては考え直して、夕食を運んでは食卓でダウンするわたしに見向きもせず「ママ、お茶~!」(昭和のおやじかよ!)なんて言っている子どもに不満が募るばかりでした。

長女
長女

ママ!お茶~!

はは
はは

いや、お茶くらい自分で入れようよ!

そんな日常なので、ある時こう思いました。

はは
はは

くそっ!それなら私もやってやる!!

そうです。初めは逆ギレだったように思います。(笑)

はは
はは

じゃあ、私も自由にするわ!

極端な話ですが、私はまずやらないことに努めました。と言っても、家事を放棄するとかではありません。

性格上、それくらいがちょうどいいかもしれないと思ったからです。

掃除機をかけられなかった日は、埃を目の端で無視して、「そんな日もある!」

食器が山積みでも「今日はできない!仕方ない!」

トイレ掃除も毎日のことは”適度”に。

子どもたちのことに関しても、言えども言えども行動しないので最終的に手を出してしまいがちなことを我慢しました。

子どもたちのおやつ後のテーブルのゴミは、いつも子どもたちに促して、促して、やっとですが、自分で捨てるまで待つ。

学校から帰ってきて、足の踏み場もないくらい広げたランドセルとその中身を自分で片づけるまで置いておく。

「やらないこと」を意識すると、「ま、いっか」と、適度に家事をすることが少しずつできるようになってきました。

家事はすべてきちんとクリアしないといけないものじゃない。

動けないときは座ってできることや自分の趣味に充てればいい。

そうしていくうちに、やらなければいけないことをこなさないと自由時間が無いと思っていた私が、案外、間に休憩や、趣味をはさんでも、最低限のことはできるものだと思うようになってきました。

心持をそんなに厳しくしなくても、ゆるーくしても、実は一日にできることにそんなに大差はなかったんです。

はは
はは

ああ、この子たちのように楽しいことを求めつつ、必要なタスクを間にはめていけば案外できるものね。

そうやって少しずつ、自分の「べき」をゆるめることができてきました。

そうすると、子どもたちのこともそんなに怒らなくてもよくなりました。

私が子どもたちに口うるさく言ってしまうのは、いつもぎりぎりまで続く心配に嫌気がさしたからです。

確実に心配の無いように、早めに声をかけておけば、必要な時にその場で動けるように促しておけばこちらも安心、時間内に用意ができるかぎりぎりまで待って、そわそわするのがストレスだから準備をさっさと済ませてほしい。

そんな風に、結局自分のストレスになるだろうことを先に想像して怒っているんだな。

という事に気づいたりもしました。

そうやって、少しずつ自分の「するべき」の思考がほどけていく感覚

そんな日々の中で子どもたちを見ていてある時ふと思いました。

「今を生きてる」って、こういうことなのかもしれない!!!

(笑)

少し振り切った考えなのかもしれませんが、この子たちみたいにやりたいことに気をとられまくって、この子たちはまだ私の声掛けで必要なことを何とかする毎日だけど、逆に言うと、それで最低限出来てるじゃない!と。

その時の流れで必要なことを楽しみながらこなしていく。

それでいいんだな。いや、それがいいんだなと思えました。

そうすると、自分がいかにがんじがらめで生きているかということが感じられました。

私はずっと「やらなきゃいけないこと」に追われて、自分のやりたいことを後回しにしてきた人生だったな。

それ以来、私自身も「できるときに、できることを、できるだけでいい」と潔く考えられるようになりました。

その結果、生活環境が悪くなったかと言うと、逆です。本当に、一日に使える時間が少しずつ増えてきています。

自分を認めることは、子どもを認めることにつながる

子どもたちは沢山の私の「こうするべき」を崩してくれました。

発達障害のある子どもたちと暮らす中で、私は自分自身の価値観を根底から見直す機会を沢山もらっています。

そこには私自身がとても生きやすくなるヒントがたくさんありました

その他大勢の意識に縛られていることってとても一般的で、多くて、そして大きな影響を受けることなのかもしれません。

今、自分が思うこと、こだわっていることは本当に自分の意見なのか?自分の為なのか?大切な誰かの為なのか?

そうやって改めて考えることって、とても大切なんだなと実感しているところです。

自分に無理をさせることは、自分のエゴを子どもたちに押し付けることにつながっているかもしれません。

そして、私の根底にある「べき思考」の意識は子どもたちにも同じようにプレッシャーを与えてしまうことにもなるかもしれません。

私が私を大切にすることで、子どもたちの特性の「わかりにくさ」も、本当の意味で受け入れられるようになるような気がします。

私は私のまま、自分に責任をもって生きていく事。そうしていれば、
子どもたちも、子どもたちのまま、自分たちに責任をもって、楽しめる自分でいる工夫を学んでいってくるのかもしれない。

と、少し肩の力が抜けたような思いです。

はは はつくづく、子どもたちのおかげで「母」なのだと実感します。

「自分を大切にすること」って具体的にどうすることなのかを考えてみる。
それがすべての始まりかもしれません。

怒るけど 笑

イライラするけど 笑

それも私だから。

でもそこに甘んじず、自分も大切に改善しながら子どもたちに接していれば、子どもたちも自分に合った「ま、いっか」を使える人になるかもしれない。それが子どもたちの生きていく世界を素敵にするかもしれない。なんて思います。

はは
はは

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よかったら、ほかのエピソードにも寄り道していっていただけると嬉しいです。↓

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