※このブログは2024年12月27日に公開したものをリライトしたものです。
発達障害との出会い
まず初めにこのブログを始めようと思ったきっかけを書いておきます。
きっかけは3つのことからです。
1. 我が家の姉妹のこと – 発達障害という考えに出会って
2. ちち(夫)のこと
3. 私に気づきを与えてくれる持病のこと
3つのきっかけ
1.我が家の姉妹のこと – 発達障害という考えに出会って
我が家には二歳違いの姉妹がいます。
二人とも驚異的マイペースを誇るゆるやか姉妹です。
小さいころから幼稚園の先生、園バスの運転手さん、おばあちゃん(私の母)、学校の先生など、かかわる人から「…マイペース…で…」と言われてきました。(因みに皆さん漏れることなく…付きです。)

苦笑い
当のはは(私/はゆまーま)の性格はと言いますと、せっかち寄り。
ただ我が家の場合は、ちち(夫)もかなりのマイペース人だったので、そちらに似たのか?それにしても、二人とも!?と思いながら、ちち の個性的な要素の方が受け継がれやすいのか?なんて思っていました。
とはいえ、現実に向き合わなければなりません。
待つ力を鍛える鍛錬場だ!!と言わんばかりに自分の弱点を鍛えなおそうと日々鍛錬」、、、

鍛錬だぁー!!
に励めるわけもなく、最終的には怒ってしまう日々…。(気持ちはあるのですが)

…..なぜ、子どもたちはこんなに生活習慣が身につかない…….?
結局、違和感を抱きつつも長女が8歳、次女が6歳の時にようやく次女に関してはASD(自閉スペクトラム症)だとわかりました。なぜこんなに気づくのにかかったのかと思われるかもしれません。私はそう思いました。

もう少し早く気づいていたら…。
もしかして、そのせいで子供に負担をかけつづけて、症状をさらに増幅させるようなことになっているのでは??
突然、腑に落ちた
さて、我が家の場合は最初に次女が発達障害だと私が勝手に確信を持ったところから始まりました。
そのころ私は日々、検索や動画を中心に子どもたちの状態のヒントを探していました。
- 生活習慣が身につかない
- 話しかけても反応が薄い
- 注意した直後また同じことをする
- 怒っている合間でも全く違う自分の話したい話をする。
- なんだか伝わっている実感はないけれど..理解はしているようだから、心配することでもないのか?
今思うとたくさんの違和感がありました。
とにかく生活習慣が身につかない姉妹。すべての行動に対して一日に何度も同じことを繰り返し言い続ける毎日で、夕方ごろから疲労困憊で精神的にもいっぱいいっぱいでした。
子どもたちの考えていることがわからなくて、なぜそのような行動や反応になるのかと常に悩んでいました。
そんな思いで漁っていた動画の中に発達障害のものもあり、ある日、その中の一部に次女の状態ととても共通するものを見つけました。
それまでも何度も見聞きしていた情報でしたが、その日は今まで聞いてきたことが何となく整理されて頭の中で一つにつながったのだと思います。突然これだ!!と思いました。
ずっと子育てに抱いていた違和感がここにある!!
私の中で突然、腑に落ちたのです。
この時思った事は2つ。
「これでやっと次女の思考がわかるかもしれない」という喜びと、
「人間ってそういうものなんじゃないの?」と言う、発達障害をその名前でくくることの意味への疑問でした。
発達障害に対して、誰でも大小ある程度似たような要素が大きいか小さいかが生きづらさに作用しているって人間の当たり前の部分じゃないの?という印象を抱いた私は、特に発達障害に関して後ろ向きに捉えることなく子どもたちに起こっている状態が発達障害ならば、発達障害を知れば自分が子供と向き合える判断材料になる!このことについていろいろ調べて学んでみよう!と前向きになれました。
わが子を知るために必要な考え方として発達障害というものを採用したという言い方が感覚的に正しいかなと思います。
この時はまだ発達検査をして診断をするかどうかが重要ではなく、自分や子どもたちに接する大人たちが子どもたちとどう向き合うかが課題だと思い、子どもたち、特に次女への対応を見直すにとどまりました。
2.ちち(夫)のこと
私が次女の発達障害に気づいたときに、もう一つ確信を持ったのがちち(夫)のことでした。

ちち もそうやん!!
現状、ちち は発達障害の検査を受けてはおりません。
が、後に本人も私の話を聞いてそうだと確信を持ったようです。
実際、次女の発達検査の問診票を二人で書いていたところ「これ、誰の問診票?」と笑ってしまうほど、そこにはちちの姿がありました。

これ、誰の問診票? 笑

これ、誰の問診票? 笑
実は、これまでちち に対して日常的に違和感を感じていた私。
私との会話の中ではこういっていたのに、この考えを持っているなら、ここでこんなに自分本位な意見は出てきにくいのでは?と言う違和感が日常にあふれていました。
よく聞くような、他人に文句を言っておいて自分も同じことをする。と言うことはありますが、その中にとどまるような心理ではないような違和感が私にはありました。
そんな違和感を抱えていたので、発達障害との出会いは、子どもたちのことと同時にちち に対しても目の前の霧が晴れたようなすっと光のさすような出来事でした。
ただただ前向きにちち の思考を参考にすることで、次女の思考のヒントが得られるかもしれないと期待しました。
ところで、この件に関してはもう一つ思うことがありました。
私は当時で言うと8年間の育児の中で発達障害に気づくことができませんでした。
これは知識としての発達障害の症状と日常の発達障害の症状に多少ギャップがあるということ(違いではなく発達障害が個々人によって出方が違うため)と、我が家のように身近な人(我が家の場合はちち)の性格だと思っていた面が実は発達障害に起因することが大きいにも関わらず、気づかずに長年過ごしていることで、子どもに対しても違和感を発達障害に結び付けることが難しくなったのではないかと言うことです。
つまり、我が家の場合はその当時一番悩んでいた次女に関して、次女はとてもちちに似ていたため、遺伝なのかな~?こんなにも極端に片方に性質が似るものかな~?と思っていたんです。
こういった気づきにくさと日常に現れる症状がその知識だけでは把握できない複雑なものと言う印象を受けました。意外と、わが子の違和感について悩んでいても、すぐに発達障害の可能性を疑うことは難しいのかもしれない。そう思うと、発達障害の子育ての日常の発信は必要なことなのかもしれない、そう感じました。
気づきときっかけを与えてくれた持病
話は一旦逸れますが、そんな感じで新たな発見(家族の発達障害)に向き合おうとしている私には持病があります。
ここでその話をするのには理由があります。
それは、今思うと私が発達障害についてポジティブにとらえられた考え方の基盤を作ってくれたのがこの持病だと思うからです。
私の持つ病気は先天性の二分脊椎症というものです。
ざっくりいうと、母親のおなかの中にいる段階で背骨がうまく形成されず、背骨の中を通る脊髄神経がきちんと背骨で覆われない状態で生まれてくるという病気です。
私は潜在性といって、一見自立歩行もしているので見た目からはわからない状態です。

「実は背骨開いてるんですよーっ」て状態。
根性論を保てた考え方 「持っているものに目を向ける」
体に起きている状態としては、神経がむき出しになっているので負荷がかかりやすく、またその神経を守ろうと、神経の周りに脂肪が取り巻き、それが脂肪種になってさらに神経を圧迫してしまうというものです。
現れている症状としては、全身が常に稼働し辛い、全身あらゆる方向からくる重さや痛み、しびれと一緒に生活していると言った状態でした。
でしたというのは、次女が一年生の時にほとんど自立歩行ができなくなり、手術になりました。そこで、いったんは神経を守ろうと癒着する脂肪種を取り除く手術をしたことで一時的に神経の負荷が減り、現時点では(今思うと生活できていないレベルだった)体調が少し改善され、下肢の痛み、しびれ、不自由さ、下肢の神経症状はありますが、座る、寝るは維持できるようになり、ずいぶん根性論が緩和されて、私としてはとても満足している状態だからです。

存在の仕方がわからない…。座っても寝ても常に痛い状態でした。
ただ、背骨を閉じることはできないので、また脂肪さんはその思いやりで神経を守ることに日々精進していることでしょう。というわけで、また自然に脂肪が癒着してくるので、手術は一時的な対処ということで完治できるものではありません。
この病気は人によって本当に症状の現れ方が違うようで、目で見えない神経症状が含まれるので医師も対応が難しいようです。ざっくり言うと痛みはその人しかわからないものなので対応が難しいですよねということです。
医師からは、とりあえず、動作による負荷も影響するので、ひとまず気を付けられることとすれば、腰を曲げたりなど患部に負荷のかかることはしないようにと言われるに留まっています。

あれ?ひたすら痛くて曲げられない時は意識できたけど、曲げられるようになったらどうやってたかわからん…。
人間はいいことも悪いことも慣れるようにできているのね…。
(術後、腰曲がらない人生約25年でも、曲がる状態に甘えるのは一瞬で、さすがにびっくりした私でした。)
こんな風に、体が思い通りにならない、常に痛みと生活をする日々を過ごしてきた私ですが、そんな中でもらったものがいいこと、できたことに目を向けること。
いろいろ葛藤は繰り返します。けれど、最終的には「今あんまり痛くない!!」って瞬間に喜びを感じたり、いつもよりも立てたことに喜びを感じたり、今日は完全にダウンせずに過ごせたことに可能性を感じる。そういう思考に変換されていきました。そうすると不思議なもので、意外と日常の苦はカウントされません。
嫌なことではなくいいことに目を向ける。それが私が持病からもらった考え方の一つでした。
「わかりにくいこと」の苦悩
いいことに目を向ける考えが基本身についていると言っても、私の性格上、楽天的と言うわけではありません。
やはり、たくさん考えてきました。
その中で常に付きまとったのが「わかりにくいこと」の苦悩
皆さん、自立歩行している見た目は普通の20代の女性が、実はものすごく立っていることが辛くて、電車の座席にどうしても座らなければならない状態だなんて想像しますか?
何とか必死に座った席にも、揺れに耐えて座っているのもやっとだなんて想像しますか?
前にお年寄りが立ったら「譲ってやれよ」とその女性に思いませんか?
人間、触れてきたことのないこと、知らないことは当然知らないことが当たり前です。
そういう経験に触れてきた私は、発達障害を知って、このわかりづらさの苦悩についてとても共感しました。
私の知らない、多くの知らない、そして、場合によっては本人も知らないためにその他大勢と比較して苦しむようなことが、きっとこの発達障害をもつ人たちにはたくさんあるのだろう。
だから、私は単純に発達障害について知りたいと思いました。
人には知らない世界がたくさんあります。それを知ることは、自分の考え方、生き方に幅を持たせてくれる大切なことだと思います。
ちょっとわかりにくい経験に触れて私なりに考えてきた人生。
そんな私はどうしてもしなければならなくなった手術入院から退院して3か月後に次女の発達障害に気づくことになります。
当時はいろんなことに必死で、いろんなことにがんじがらめで、目まぐるしい状況の変化でしたが、退院してきてから子どもたちの謎が解けた時、これ以上なく前向きになりました。
そんなわけで、私は、持病のおかげで常に共にしてきたこの痛みと、人には伝わりにくい不自由さのある暮らし、経験から
・前向きなとらえ方、切り替え方
・他人に伝わりにくいことの辛さ
・考えの幅を持つことの大切さ
を教えてもらっているのだと改めて実感することになりました。
そんなことがあり、我が子が発達障害かもしれない!と思ったとき、わが子を理解できるヒントを手に入れられたと考え、自然と前向きにとらえることができたのだと思っています。
なので、私と病気の話は、私の考えの基盤として切っても切れないことだと思っています。

とらえ方って大切なのね。
このブログはそんな私の持病と発達障害からもらう日常のヒントと学びを集めていくものです。
これからの私に。
これからの家族に。
そして、似たような困りごとを抱えている誰かの力になれるようなことがあればいいなと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よかったら、ほかのエピソードにも寄り道していっていただけると嬉しいです。↓
↓筆者が大人になったお子さんに、当時のことを聞いて書かれた本です。発達障害の子の受け取り方の一例としてとても参考になると思いました。


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