療育を利用するまでに気になっていたこと2

療育までの道のり
Image by Michal Jarmoluk from Pixabay
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ここでは
小学校へ入学した次女の変化
検査に至った理由

療育の利用を決めた理由を簡単に書いていきたいと思います。

次女が小学校に入ってから気になったこと

小学校入学 ー ストレスの増加

次女は小学校に入学してからも相変わらずとにかくスローペース、マイペースでしたが、幼稚園の頃よりもストレスが明らかに増えた様子でした。やはり学校でのストレスが大きいと帰宅後の行動に支障が出てくるのではないかと感じました。

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やることも多くなって、よりペースが合わせられないと困ることがあったり、せかされることも増えてきたのだと思います。

帰宅するとその影響がより強く出るようになった

不安定になっているときは幼稚園の時と同じく、玄関にあがるまでランドセルをおろして手を洗うまで、など帰宅後の行動にいちいち30分以上かかることに加えて、おやつを食べることすらなかなかおやつに手を付けるまでにも時間がかかります
かといっておやつはいらないのかと聞くと「いるっ!!」と怒ったり。やっと食べ始めたと思ったらなかなか食べ進まず、やっと食べ終わって宿題をしようとなっても、ランドセルを開くことからなかなか…。

宿題をようやく始めたと思えば何に気がそれるわけでもない様子なのに進まない。

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取り掛かるまで、取り掛かってからの必要な時間が長くなりました
とにかく宿題に時間がかかる

1年生の前半は1時間半から2時間半ほど。
1年生の後半から2年生の前半では一番ひどいときで4時間ほど宿題にかかる時期があり、夕食やお風呂をはさみながらなんとか宿題に向かわせようといろんな角度から声掛けしてみたり、やることを書いて視覚化できるようにしてみたりしました。
でもなかなか改善できませんでした。

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発達障害の子によっては周囲のもの、音、光など様々なことに気がそれて集中できなかったり、視覚からの情報が苦手、聴覚からの情報が苦手などの特徴があったりするようです。

この場合はそれらもあったのかもしれませんが、ストレス循環がとても悪くなっていたのではないかと思っています。

音読に一時間以上。計算カードに一時間半。その他プリントやドリルなどもあります。

そもそも、学習内容をわかっていれば宿題を無理にする必要もないのではと思い「宿題を無理にしなくてもいいよ?連絡帳に書くよ?」と持ちかけても、もはや本人が宿題はしないといけないと認識してしまっていて、その選択肢はない様子でした。

もう、見る方の精神力がもちません。

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疲労困憊です。

ちち

疲労困憊です。

学校でのストレスが増えると姉妹喧嘩もいっそう増える

次女は自分でも得体のしれない不安でイラついたりフリーズしたり、愚図ったりすることが増えました。そして、そうなるとどうやらとらえ方もますます否定的になるようです。姉の優しさも、ちち やおばあちゃんの普通の呼びかけにも否定して怒ることが増えました姉が隣に座っただけで、少し体が当たっただけで、すれ違いざま、常に次女の手が出て喧嘩になります。
姉もイラついていらないちょっかいをかけたりして、さらに姉妹喧嘩が増えます。

こうしてますます日常が進まなくなっていきました。

外では抑えていた感情が次第に出てくる

その他にも、外ではある程度感情を抑えていた次女ですが(ある意味外の世界に慣れてきたのでしょう)時折感情が抑えられないことが出てきました。

公園で注意

ある日、公園に遊びに行った日のこと。幼児用のブランコに上級生の男の子が乗っていました。それを見た次女は小さい子用のブランコに乗ってはいけないと注意してしまい、上級生の子は反論。次女がそれにまた反論。と少し言い争いになりました。

次女は幼稚園の頃から外で自転車の二人乗りなどを見ると「どうして二人で乗ってるの?」「二人で乗ったらだめですよー!」と度々指摘することがあって、私は「〇〇ちゃんが知っていれば人に言わなくてもいいよ~」と言っていたのですが、どうしても許せない。解せない。という方が強いようでした。そういう正義感と小学校である意味人に慣れてきたこともあって言ってしまったのかなと思います。
そして、さらにここで反論されると、おそらく次女の頭の中では”何も間違った事を言っていないのになぜ反論されないといけないのか!!”と歯止めがきかなくなってしまったのではないかと思います。

ほかの児童に大声で反論
小学校の下校時間。そろそろ帰ってくる頃だと思っていると、何やら聞き覚えのある声が。
何か大声で言っています。
「〇〇ちがうもん!!」「〇〇するな!!」
明らかに次女の声です。
帰宅後、何を言っていたのか聞くと、上級生に少しからかわれたことをとても不快に思ったようで、大声で言い返していたそう。
からかわれること自体はあることだと思います。ただ、帰ってきてからの次女の怒りようが強く抑えられない様子そしてまたしばらく何も手につかない…。

 

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切り替えが苦手という特性があるようです

幼稚園の頃よりは聞けば話そうとしてくれることが増えてきたのですが、言わない不安不満、また次女自体がそのもやもやがなんなのかわからないので怒ってしまうことがたくさんあるように感じました。

連絡帳が書いてこられない日が多くなる

私が次女の発達障害のことに思い当たったのが次女が小学1年の10月ごろなのですが、それから2週間ほどした頃でしょうか、連絡帳を書いてこられないことが続きました。

先生に連絡すると、やはりなかなか時間がかかって連絡帳を時間内に書けないいのだそう。休み時間や放課後など、時間を取ったり声掛けをしたりしてくださるようですが、最終的に書いてこられないことが増えているようでした。

先生も最後までチエックできていなかったりすることが続いてしまっていたようで「すみません!」とおっしゃられましたが、

  一つのことがなかなかすすまない
→ 自分である程度やれるようになってほしいので声をかけ続ける
→ その間、家事などしていて最終的に寝る時間になってしまい、チエックがおろそかになる

 

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わすれてた!!

ということは私も多々あったので、先生に申し訳なく思いながら話を聞いてみると、やはりその他にも日常の進まなさに苦労されているようでした。さらにそれが入学当初よりはるかに増えてきている様子でした。

学校とも共有が必要だなと感じた私は、先生に私が感じている次女の性質の話、次女に対して発達傾向があるのではないかと半ば確信を持っていることを伝えて、検査をすることを決めました。

 

検査をしている小児科へ相談に行く

その後、すぐに小児科にて検査の相談をしました。

本人の問診
私への問を経て検査の予約を取りましたが、予約までに1か月以上かかったと思います。

小児科の先生からは、当時の困りごとにおいて、とりあえず学校側には宿題を減らしてもらえるようなら減らすなどの対応をしてもらうこと、連絡帳をコピーして貼り付けるだけにしてもらうなどの対応をうかがいました。

幸い、担任の先生も次女のことをしっかりと見てくださる方だったので、次女の性格をきちんととらえようとしてくださっていましたし、私の話を聞いてさらに対策を模索してくださいました。

”早く”という言葉には反発を起こして進まなくなるので、ある程度の範囲で自分でどうしたいかを決めさせてくれたり、作文など苦手なことなどは本人の気分を害さない範囲で考え方のヒントを促して進めてくれたり、連絡帳は書かなくてもいいようにプリントしてくださりしました。

ストレスの反動は主に自宅で出るので、ストレスが生活の中で強めに現れる場合は学校の様子をうかがうようにしました。

1月末に検査を受け、結果が1.2週間後だったと思います。1年生の終わりぎりぎりにASDと診断結果を受け取り結果をもって学校へ共有することができ、春休みに入りました。

検査を受けて共有できた直後の次女の様子はというと、本人はそういう動きがあったことは知らないものの、先生の理解の姿勢を得たことで少し安定しました。学校での取り組みも積極的に頑張れるようになってきて成長と効果を感じました。家での行動や宿題の長さも一時的に改善されました。

次女の場合はこうして学校も先生も対応をしてくださったので、ひとまずこのまま様子を見ようと思い、この時点では療育の検討は見送りました。

 

基本的に否定的に物事をとらえる

さて、学校での対応はできる限りのことはしたと思っていたのですが、問題は家庭での否定的な認知による反論”姉と喧嘩になる”ということでした。
もちろん喧嘩については姉にも原因があるのですが、すれ違い様にどこかが触れると喧嘩になるという日常でしたから、見ているこちらも一日の終わりには嫌気がさして怒ってしまいます。

このころには春休みに入っていたので、それが目に付くこと!そして次女の語彙が増えれば増えるほど否定的な反論も激しくなっていきます
基本的には反論が出るようなことは言っていないのですが、通常の会話の中で何かをたずねたりすると、返答の後に「だって〇〇でしょ!」とか「〇〇するわけないでしょ!!」といった感じになります。また、姉が自分の得意なことを私に嬉しそうに教えてくれた時には「私だったら別に~~だけどね!」と、人の得意分野をけなすような物言い。
はたまた、傍で会話している内容に、次女は関係ないのに自分が悪く言われたと思って(ちなみに誰を悪くも言っていない話ですが)文句を言いだす。とにかくこのままのとらえ方だと高学年あたりでトラブルが起きそうだと簡単に想像できてしまう日々でした。

どうにかとらえ方の幅をもたせることができないかと、とりあえずその場はわからなくても「こういう考え方もあるよ?」「お母さんはこう思うよ」という違う意見も伝えるように努めていました。

これは私の個人的な意見ですが、いろんな考え方があることを伝え続けて、本人が大きくなった時にでも考え方の選択肢の候補として思い出してくれることを願ってずっと取り組んでいくべきことだなと考えています。加えて最近は、先述のことも前に、まずは本人の気持ちを受け止めてから実践することが大事だな、自分にはできていないことが多いなと感じて、特に意識しないといけないと思っていることです。

 

療育を受けることを決める

ただ、前向きにやろうとしても話せばほぼ毎度その調子、やはり家庭だけでは限界を感じました。外でのコミュニケーションや親ではない大人からの対応も必要だなと思い、療育を受けようと決めました。
2年生になる直前の3月に、療育が受けられるように検査をした小児科で”意見書”というものを書いてもらい、手続きをすることに決めました。

私の場合
発達障害の診断はこれからの対応のヒントのため、あくまで本人の様子を見て、なぜそうなるのか原因を探っていくヒントとその助けになるものとして扱っていきたいと考えています。因みに医師には”本人が困っているかどうかで検査をするかどうか判断すればいい”と言われましたが、このことについて個人的には困っているかどうかの判断は本人では難しいことじゃないかなと感じています。

発達障害の人はそもそも自分の感情もちきちんと理解することが苦手だったりするようです。子どもの場合は困りごとがあるから愚図ることや物事が進められなくなっていると理解して手助けの方法を考える方がいいのかなと感じています。(発達障害に特化したことではないと思いますが)

次回は療育が決まるまでとても遠回りしてしまった話と、2年生になった次女の様子を書きたいと思います。

 

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