次女の乳幼児期に気になったこと
ここでは次女の乳幼児期について気になった様子を書いてみます。
・はは(私) とくっついていないと泣く
・昼寝しない
・夜寝かせても離れると起きる
・ずっと怒っている
・話しかけに応答しない
・本人の中にとても確かな常識がある
・他人に興味がない
次女は生まれた時からとにかく私にくっついていないと泣く赤ちゃんでした。それもちょっと強烈なのでは?と思うくらい泣いていました。
長女は母乳を飲む力がほとんどなく、搾乳して飲ませていたり、弱々しくてどちらかというと静かだった印象で、そこまでギャーっと泣く印象はありません。
一方、次女はおなかの中にいる時から元気な印象で、男の子だと思っていたくらいです。生まれてからは母乳もしっかり飲めて、長女の弱々しさと正反対で力強く育っているのでむしろ安心していました。
私とくっついていないと泣く子
冒頭にも書きましたが、次女は私から少しでも離れると泣く子でした。
なので、ずっと抱っこ状態。
私は持病の神経症状で、自分一人の体重を支えるのも非常につらく、生活はとにかく忍耐!!
そこへ”+次女をおんぶ”でどこまで忍耐力を鍛える必要があるのか!?と、ツッコミながら生活していました。
でもこれが不思議なもので、可愛いわが子。つらくとも、動けなくなっても抱っこしてしまうのが母親なんですね。母は強しとはこのことか!(ん?違う?…)と思いつつ、抱っこするか添い寝(ギブアップ)するかの生活でした。
日中は私とおばあちゃん(私の母)もいることが多かったので、次女は私の次におばあちゃんには慣れていましたが、ちち に対してはなかなか懐きませんでした。
今考えると、ちち も焦りと不安からだったのでしょうが、わが子になつかれないことにイライラして後から本気の愚痴を漏らしていましたし、私がその事態に対応できないことを責めるような態度になっていることもありました。当時は私も次女がちち に懐かない理由がわからず、ちち の態度をとても不満に思っていました。
今考えると、次女からすれば、”ちち” はほとんど”夜しか見ることのない人”で、なじむことができず、抱っこされても恐怖や不安の方が強かったのではないか と思っています。
いわゆる感覚過敏が影響してたんやろうねー?と、ちち とは話ています。
はは から離れると不安だったのかもね
ちち の感覚に触れることが少なくて不安だったのかもね
他にも…
・昼寝をしない
・夜もやっと寝かせたと思ったらすぐに起きるということに困っていました。
次女が一人歩きし始めた頃。「やっと寝た!!」と思って寝室へ寝かせてリビングへ戻ってくると、すぐ背後からひたひたと小さい足音…。振り返るとそこには小さい影が!!一人歩きができるようになるとこういうこともあるのか!!
ついゾッとしたということもありました。笑
数分くらい寝てもいいやん!
ずっと怒っている印象の子
そんな幼い次女に対して私が特に気になっていたことが、喧嘩の際にすぐ手が出ることと、なんだかとてもすぐ怒るなぁ?ということです。
次女の発語は長女よりもずっと遅く、言葉の代わりに手が出てしまうのかな?と考えたりもしました。
また、次女は意思表示がはっきりしているように感じていて、それだけに”嫌!”とはっきり主張してしまうのかな?と思っていました。
なので、私ができることとしては、言葉が出るまでそれがよくないことだと伝えていくことしかないなと考えていましたが、その姿は私には違和感で、とても攻撃的に見えていました。
こんなこともありました
例えば、長女が、自分が素敵だと思うものを妹にあげようとすると、急に何かを向けられた=攻撃されると思ったらしい次女が(※当時はなぜ次女が怒るのかわかっていませんでした)ひどく怒った態度を示し、攻撃してしまったり、可愛くて頭を撫でようとしただけなのに攻撃的に手がでてしまったり。
まだ当時、幼稚園の年少あたりだった長女は困惑して、「どうして?」とつぶやいていました。
私には次女が相手の善意、悪意にかかわらず、すべて悪意ととらえているように見えていて、とにかくとても怒るこ子だなと気がかりでした。
外でトラブルにならないかも気になっていました。
今思えば気になることは多々あった
今思えばですが、気になることは多々ありました。
でも当時は子育てって、私がイメージしていたことよりもはるかに異次元に大変なのだなと、母親はとんでもない世界を生きているのだと思いながら過ごしていました。
この考えは後に甥っ子の姿を見て覆されることになるのですが…。
目が合わない?
当時、私は次女とそれほど目が合わないという認識はしていなかったのですが、そういえば合った記憶もあまりない気がします。
体の痛みとの両立で私に余裕がなかったことも大きと思いますが、子どもにゆっくりついていることもできなくて、かわりに常に話しかけながら家事をしていました。思い返すと、いつも少し離れたところから常に見ながら家事をしていましたが、近くへ座ってゆっくり顔を見て話しかけることは、ご飯やおやつのときくらいだったように思います。後は、次女はほぼ背中にくっついていたので、仕方ないかとも思います。笑
また、三歳児検診でも特にひっかかることはありませんでした。
話しかけに応答しない
次女のコミュニケーションに関して、はっきりと認識できるくらい気になりだしたのは幼稚園に入園してからでした。
このころには文章も話せるようになっていたので、言葉でコミュニケーションが取れだしたから気になりだしたという感じです。
「ご飯食べるからおもちゃ片づけてねー」
「食べ終わったら食器をキッチンにもっていって~」
「おやつ食べるー?」
「ご飯だよー!」
「もうあと10分で出るよ?早く用意しよう!」「早く着替えよう!」
また、次女が遊んでいる時に鋏を持っていたので、「鋏持ったままだと危ないからおいてねー」、
「お茶碗を持たなかったらひっくり返すよ~?」などと注意したりするけど、何をいっても無反応。
こっちを見ないし、聞いているそぶりも見せない。もちろん返答もしない。
でも必ず毎回そうかと言われると、その言葉に反応して動くこともたまにはあるし、特に注意をした後に一度できたりするときもありました。
しかし、やはり私としては心配になり、「今こう言ったの聞こえてた?」と聞いてみたり…。そうすると、きちんと聞こえていて、内容を的確に話したり、後日要約して言い訳に使ったりできるほど理解しているのです。
「……..。」
理解はしている….。
当時は次女の性質に関して、幼稚園の先生も”理解はしているので問題があるわけではない”ととらえていらっしゃったように思います。
幼稚園でも同じく、呼びかけても話している人の方を向かず、あいづちも打たず、返答もしない。聞こえているのかと確認してみると、自分に話しかけられたこともわかっていて、内容も理解している。とおっしゃっていました。
幼稚園の先生方は「まぁそういう子なのかな?」そういった対応で、とにかく周りの何倍もマイペースな次女に、早めに声をかける、誘導のタイミングを計るなど、その時々でいろんな工夫を講じて卒園まで苦戦し続けてくれました。
マイペースの範囲に収まりますか?(はは 心の声)
今思うと、どの先生も本人のペースを無理なく後押ししてくれようとしてくださり、いい先生方に恵まれたと感謝しています。
園の先生方からは特にそれ以上の言及はなく、私も次女の愚図りや怒りが出ること以外は家での様子と同じだったので、「そうですよね~。お手数かけますが、よろしくお願いします。」と苦笑いすることしかできませんでした。
周囲の人への関心がない
その他にも、次女は周囲の人への関心があまり無い(特に同級生)ようでした。
3年間通った幼稚園で、年長になってようやく名前を認識した子は数名いたようですが、ほとんどのクラスメイトの名前も覚えることはありませんでした。
また、クラスメイトと積極的に遊んだりもしませんでした。ただ、来る子は拒まないようで、本人はやりたいことがはっきりしていて遊びたいもので淡々と遊んでいるところにほかの子が来ると、そのまま一緒に遊びだすといった様子でした。
親としては心配になりますが、そこは本人の性格もあるので、一人でもいられるならそれはそれでいいのかと見守っていました。
本人の中の確かな常識
当時から、私が次女について印象にあることが、どうやら本人の中で、ある意味的確に常識というものをとらえていて、そのために気にかかることが多いのではないかということです。
そして、その常識の中に当てはまらない本人がおかしいと思った事柄に対しては納得がいく説明をもらうまで許せないといった様子でした。
ただ、その常識の中に他人に、簡単に危害を加えたり文句を言ってはいけないという認識もあるのか、その許せな気持ちに反する感覚(イライラや不満)を外ではとても抑えているように見えました。
外ではとんでもなく何かを抑えている気が…
だから、次女は何となくストレスが人一倍多いのだろうなとは感じていました。
家では常に怒っていたり、違う!と思うこと、疑問があれば、それに納得のいく言葉が返ってくるまで機械のように同じ間隔で、同じリズムで質問を繰り返します。そんな状態ですが、それを外では全く出しませんでした。
そのせいだったのでしょう。幼稚園から帰ってくると玄関から上がってこようとしなかったり、手を洗うのに30分以上洗面所に座り込んでしまう、着替えるのに30分以上裸のまま座り込んでしまう。
とにかく愚図って物事が進まなくなるのです。
とても悩みました。
私が想像できる思考とは全く違っているのだろうけれど、どうしても次女の考えていることがわからず困り果てました。
返事の必要がないと思っていた次女
ある日の幼稚園からの帰り、ふと思い至った私は次女に聞いてみました。
「ねぇ?〇〇ちゃんはもしかして、話しかけられても”自分がわかっているなら返事をしなくてもいい”と思ってる?」と。
そうすると、「うん」とはっきり。
衝撃でした。まさかとは思ったけど…。
…….。これはまずい。このままだと、困ることになるのでは?!
それから事あるごとに、「今、お母さんはこう聞いたでしょ?」と聞こえていたのかを確認して、
「聞こえたなら返事をするとか、こちらを向いてうなずくとか。嫌なら首を振るとかしないと、お母さんにはわからないよ?」
「〇〇ちゃんは今、お母さんが何を考えているかわかる?」
「…..。」首を振る次女。
「でしょ?じゃあ、〇〇ちゃんが考えていることを、お母さんもわからないことがわかる?」
「うん。」うなづく次女。
といった風に、返事をしなければ何もわからないと伝え続けました。
それでもなかなか認識をしてくれることがなく、さらに次女がこの調子なので、長女も引っ張られたのか、かまってほしくて次女の真似をしだしたのか、同じく声をかけてもほぼ反応しないことが続きました。
夏休みなど長期の休みに入ると、子どもたちは遊びに行くことも得意ではなかったのでほぼ家にいて、私は常に2人に一方的なコミュニケーションをし続けることになります。
一方、子どもたちはこちらの話などなかったかのように一方的に自分の訴えたいことを言い続けます。
いい加減にその状況に耐えられないと思いだしてから半年ほど、その他にも生活習慣も一切身につかないこともあり、常に何かをよびかけていないといけない状況に加えて返答がないという状況に追い詰められた私は、どうすればいいのかわからず、朝から怒鳴り散らすようになりました。
それまで、なぜ何も伝わらないのか?、言ったことは頭の中に少しも残っていないのか?と悩んで考え続けていましたが、当時はどうすればいいのか、そもそもどうなったらそうなるのか、子どもたちの状態がさっぱりわからず、ただただ将来への心配と不安、現状の理解ができないことをどう解決すればいいのかということでいっぱいいっぱいになっていました。
おばあちゃん(私の母)に相談しても、一緒に生活していないので本当の意味での困りごとがわかってもらえませんでしたし、ちち も子供だからそんなものだと思う。と言って、私がとにかく短気で仕方がないのだと思っていたように感じます。
かといって、ちち もこの状況を体験していないのではなく、ちち も仕事から帰ってきてすぐに同じような状況に見舞われ怒ってしまうことになるのですが、私がすごい剣幕で怒鳴っているのを見て、過剰な反応だと不満に思っていたと思います。
私にすると毎日”一つの動作のために何十回も伝わらないコミュニケーションが繰り返され続けている”という状態でした。
起きた瞬間から怒鳴ることも増えていましたし、ちち の見ている私はいつも怒鳴っているような状態でしたから無理もないでしょう。が、私もそんなちち を不満に思っていました。
堂々巡りの悩みのなかで 私に起こったこと
悩み続けていたら部分的に記憶を失った
どうしても身につかない日常生活や伝えたいことが一切子どもたちに伝わらない
私は途方に暮れていました。
何をどうとらえて、どうしていくのが子どもたちに合っているのか?
そのヒントが欲しくてキンダーカウンセリングなどで相談もしながら、そのたびに、
こうしてみるのはどうだろう?
こうやって伝えるのはどうだろう?
こう考えているのかな?
こうしてみよう!!
こうやって考えたらいいんだ!!
こうやってとらえたらいいんだ!!
怒っても意味がないことは今までのことでわかっているのだから、とにかく怒らないようにしよう!!!
そんなふうに考えを巡らせても、結局怒らないと事態が進まないという悪循環になっていました。
そうやっていつものように悩み続けていたある日のこと。
次のしてみようと思うこと、とらえ方を思いついて心が少し前向きになった瞬間、それは起こりました。
突然、あれ?と思いました。
今、自分は何を考えていたんだっけ?
確かいいことを思いついたはず…。
悩んでいた記憶はあるのに、具体的に何を考えていたのか忘れてしまったのです。
それまで考えていたことがすっぽりと抜け落ちていました。
子どもたちのどの行動に対する具体的な問題点や原因、子どもたちの思考について、どう考えてどうしようと思っていたのか…すべて吹き飛びました。
私は思いついた瞬間の行動を思い出そうとしてみました。
確か…家事をしながら考え事をしていて、こうすればいいかも!!とすごく目の前が明るくなるような思い付きをして、トイレに入りました。
そしてトイレから出ようとした次の瞬間…
気づくとキッチンの小窓の前にいました。
トイレを出て、そこまで来るほんの数秒の間の記憶が抜け落ちたことに気づきました。
その時の風景は今でも忘れません。(考えていたことは忘れたけど 笑)
気づけば小窓の前に立っていた私。
小窓のカーテンの隙間から、気持ちのいい日差しが射して、私に降り注いでいました。
頭の中は空っぽでした。
あれ?
次の瞬間、とても焦りました。
が、もうそれは頭の中にはなく、どれだけ一生懸命思い出そうとしても、時間を空けて思い返してみても、もう何を考えていたのかすら戻ってくることはありませんでした。
今も、思い出せません。笑
そのころ、私はどんどん歩く、立つの辛さが加速していて、自分の体の限界も感じていましたし、子どもたちへの心配と同時に自分の心配も増幅してしまったことで、精神的にも頭の中も一杯いっぱいだったのだろうと思います。
あー、そろそろやばいなぁー。
体より先に頭がだめになるのではないかと不安になりました。
次回は小学生になってから療育が決まるまでを書いていこうと思います。