中枢性統合の弱さ 目先の選択肢だけに注目する
ここでは、決断することへのストレス? ー 発達障害(ASD)次女のプチパニックでのことについて、どうすれよかったのか。次女の頭の中で何が怒っていた可能性があるか、ASD傾向のあるちちならどう考えるのかを話してみました。
脳内ヒントでは、ASD傾向のある我が家の ちち の話を通して発達障害の見ている世界のヒントになるかもしれないと思うことを書いています。
※あくまで、ちち(夫)とはは (私/はゆまーま)のとらえ方の話です。一つの意見として参考にしていただけると幸いです。
発達障害と決断を求められる状況
選択肢を与えられたときにどう思うか、について。
上記の記事「決断することへのストレス?ー発達障害(ASD)次女のプチパニック」では、次女は最初、自分の希望することをきちんと主張していますが、私が確認を取ったことで、初めはあった意見がわからなくなってしまったように感じました。
このことについて、ちち の思考をヒントに、次女が自分の責任で選べなくなったのはなぜかを考えてみました。

あのときは、最初にこうしたい!って主張がはっきりあったのに、それがだんだん揺らぐというか、わからなくなってきたように感じたんだけど、なんでなのかな?
他の人の選んだものはよく見えたりするけど、それとはちがって、本当にわからなくなっていく感じだったよね?
選択することや決断することがストレスなのかな?

うーん。それもあるかもしれないけど、自分の場合で考えると…
最初に意見を言ったにもかかわらず確認してくるっていうことは、自分の選択よりも正解になる根拠があって言ってるのかな?と思うかもしれない。

正解?

自分だったら、自分が提案したことにさらに意見を言うっていうことはそれだけ重要なことなんだと思って、そちらを選んだ方がいいんじゃないかな?その方がいい答えなはず!と思ってしまう。

んー、つまり、自分はこうがいいと思っていたけど、私に選択肢をもう一度挙げられたことで、最初の選択肢は間違っているかもしれないと思ったってことかな?

かもしれないよね。

自分の意見を聞いたのに?

うん、あくまで自分の場合の想像だけど、特に信頼している人が、自分が意見を言った後に確認や選択肢を提示してきたら、よっぽどの理由があるのだろうと思うし、初めに伝えた要望があるにも関わらず、もう一度確認してきたってことは、その選択は取らないでほしいということなのかなと思う。

それじゃあ、〇〇(次女)は私が選択肢を本当にこれでいいかって確認したから、自分の選択は間違い → 正解を選ばないと! と焦った。
そして、その時私が念押しした確認が、自分の意見、意志をただ確認するもの→ 正解を選ぶこと にすり替わってしまって、プチパニックになったってこと?

うん。可能性はあると思う。
ここから見える次女の苦手な特性について
この話を聞いて、私は、特にASDにおいてよく言われる二つの思考の特徴が関係しているのかもしれないと思いました。
自他境界のあいまいさ
一つ目は自他境界があいまいになりやすいこと。
自他境界は自分は自分、他人は他人として別の個体であること、別の精神であることの認識を成り立たせてくれるもので、成長の過程でこの自他境界を自然と認識することで、自他の様々な経験からそれらの違いを理解して、相手の気持ちを推察したり、コミュニケーションや思考、自分の思考の成長などに繋げていくときに大切なもののようです。
この自他境界があいまいだと、自分の思っていることはみんなが思っていると考えてしまったり、逆に周囲の考えていることを自分の意見としてしまい、影響されやすいなどの状態が起こるそうです。
白黒思考
二つ目は白黒思考です」。
これはその名の通り、物事を白か黒か。正解か不正解かで考えてしまうことです。
物事には正解か不正解かだけではなく、あいまいなこと、つまり白か黒かではなくグレーなことがあります。
このあいまいなグレーの部分をいろんな形でとらえることでコミュニケーションスをムーズにできたり、柔軟に考えを広げていけるようになるのだと私は思っています。
発達障害の人の中ではこのグレーな部分をとらえることが苦手なことが多く、白と黒のどちらかで判断しがちになってしまいます。
このことで次女は、自由な選択肢があっても正解か不正解かという基準になってしまったのかもしれないと思います。
確認してくるということは別の選択肢の方がいいのかもしれない。と。
そして、選択肢が複数同列になってしまうと、おそらく彼女の中で情報を適切に処理することが難しくなり、選択することが難しくなるのかなと想像しています。
ヒント💡何度も確認するのは悪循環になることも
今回の次女の場合は?
自分の意見を言ったが、念押しされた → 正解があるに違いない! → 正解を選びたいけどわからない → 目の前の情報がぼやける → 不快感が残る → 愚図る
と言ったように、私から何度も確認を繰り返されたことで、その真意がわからなくなってしまって、私の求めている” 正解 ”の答えを出そうという思考になってしまった。そのために、当初はあった次女の意思が、彼女の中からかき消されてしまったのかもしれないという仮説を立ててみました。
どうすればよかったのか?
最初に意見を言ってくれたのだから、確認しなくても大丈夫。
そのことで、後日「言っていない!」と愚図っても「最初に聞いたよ?」と冷静に返すくらいが、余計なストレスや混乱を招かないでいいかもしれません。
それくらいの方が自分の意見を持っていくこと、発言していくことが育っていくかもしれないとも思いました。
参考:自他境界について
注記:
ちち は発達検査は受けておりませんが、ASDの次女の診断前の問診で、次女よりもその項目に共感することが多くありました。私もちち と次女はとても似ていると感じています。
ちち はASDのことを知り、その特徴やそれゆえの苦手分野を知ることで、これまで自分を必要以上に責めていたことに気づき、少し生きやすくなったと言います。
最も、これまでに自分の苦手に気づき、対処法をルーティーン化していくことで対策してきたというちち ですが、その特徴を知ることでまだまだ考えていけそうなことはありそうです。
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