ASD 次女がイベントから帰ってきて、楽しさを表現できずに祖母をがっかりさせてしまった話

モヤモヤと悩む女の子 日常 ー 学び
her-feel-uneasy

「日常ー学び」では発達障害を持つ我が家の姉妹のエピソードや、そこから学ぶことと、ちょっとクスっと笑える日常の会話など、息抜きになるようなお話も書けたらと思います。

※この記事は2025年5月28に公開したものを2025年8月15日に書き直したものです。

次女がASDと診断されたころの話です。

次女の反応で祖母がショックを受けたことがありました。祖母にはASDについて、簡単に説明をしてまだ間もない時でした。

その日は待ちに待った習い事での遠足イベントの日でした。

長女も同じ習い事をしていたため、姉妹で揃って参加できるということもあり、二人ともとても楽しみにしていました。

祖母は二人の楽しむ姿を想像して、イベントの費用を出してくれました。

そうやって祖母は孫たちがそのイベントへ行くことを一緒に楽しみにしてくれていて、どんな楽しい孫たちの顔が見られるのだろうと帰りも迎えに行ってくれたのですが…。

帰ってきた次女の口からは、なんと、楽しいのたの字も出てこないどころか、終始愚図りながらの帰宅になったのです。

自分の感情状態がわからないASD

箱からはてなマーク

当時は私もASDについて調べ始めた頃でした。祖母にもその情報を共有するようにはしていましたが、思考のとらえ方や表現の乏しさ、不安やストレスが多くなること、それがどういった影響を及ぼすか、など、具体的な説明はなかなか難しく、また、次女自身も自分の感情がよくわかっていないだろうことや、それを表現することが難しいことなど、説明しても直ぐに伝わるようなことではなく、まだまだ次女への理解は得られていない状態でした。

そもそも、専門でさえ判断が難しいとされる一人ひとり違う複雑な発達障害の症状を、素人が他人に伝えるのはあまりに難しいことです。

私自身も、何となくこういう状態が起こるな?こんな状態なのかな?と次女を見る中で自分なりに想像を巡らせるくらいで、それを論理的、具体的に説明できるような知識も今よりもっとない状態でした。

そんなわけで、気分が沈んだ祖母と帰ってきた子どもたち。

先述の通り、次女は愚図って機嫌が悪くすらありました。

それを見た私は、次女は楽しかったけれど、大人数での親のいない遠足イベントに、それなりのストレスと疲労感が出てしまっていることそれを本人が自覚できずに愚図ってしまっていることを察しました。

普通に考えて、家族間であっても、遠出していつもと違うところへ遊びに行くとなると疲れると思います。

ましてや、初めての変化や人と接することが苦手なタイプであったなら、楽しくても想像以上にストレスを大きく受けてしまうでしょう。

この時は確かまだ1年生の次女ですが、日常の中でも、自分の感情も理解することが難しく、本当に怒ってばかり、愚図ってばかりでした。

余談になりますが、これを書いている今、次女は3年生ですが、最近は自分の感情もずいぶんわかるようになって、少しずつ言葉にできるようになってきていることを思うと、予想しなかったくらいハイペースでの成長で驚いています。

はは
はは

それもこれも、発達障害に気づいたこと、そして療育が次女に合っていたことがとてもよかったのだと思っています。

話は少しそれましたが、その時の私はまず、次女が自身の感情に気づいているのかを確認しようと思いました。私が次女に、自分は疲れていると思っているのか確認してみると、次女は(いつもの通り)反対のことを繰り返します。

はは
はは

疲れたね~?

次女
次女

疲れてない!!

やはり次女は、自分でも自分の状態がわかっていない様子でした。

だって、「疲れてない!!」といった次女は、帰ってくるなり無言で私に抱き着き、疲れてないと言った今もゴロゴログダグダ私の膝の上で愚図り転げているのですから。

というわけで、私は次女の背中を撫でながら「それは疲れてるって言うんだと思うよ~?」と言ってみました。

次女「疲れてないもん!!

その場ですぐには受け入れてもらえませんでした。

とりあえず、その場は感情を理解するヒントになればいいかなくらいにして、その場で祖母には私の想像できる次女の状態を説明をしました。

はは 「たぶん、とても楽しかったけど、疲れたのと、慣れない場所と環境にいたことの負荷がかかってるんだと思う。自分の気持ちがどういう状況か自分で把握できてなくて、不安になって愚図ってしまってるだけだと思うよ。ちゃんと楽しかったから大丈夫だと思う。時間がたって、もう一度訊いたら楽しいって言うよ。」

祖母「そうかな~」

半信半疑で心配をする祖母の気持ちを取り残して、その時は終わりました。

その後、次女が落ち着いたタイミングを見計らって何気なく

「今日のイベントどうだった?」と聞くと、ご機嫌で

楽しかったー!!」と答えてくれたのでした。

それを祖母に伝えて、祖母も一安心。一件落着しました。

ASDについて具体的な説明ができるきっかけになった出来事でした。

初めてに弱いASDと、外では耐える気力がすごい次女

発達障害をもつ人の中でも、特にASDタイプをもつ人は不安が強いことで急な予定変更やはじめてのこと、想像ができないことに多大なストレスや不安をもちやすいと聞きます。

今回の次女も、それがとても顕著に出たのだなと思いました。

イベントは姉と一緒だったために、次女もある程度楽しみにして行けました。

さらに、この時の次女は姉が経験したことは当たり前に自分もするものだと思い込んでいたようだったので(これはきょうだいあるあるですかね?)その気持ちも後押しして楽しみにできたし、実際楽しめたとは思います。

が、初めてへの恐怖や不安も人一倍感じられてしまう次女にとっては、実際はかなりハードルの高いことに違いなかったと思います。

その他大勢の子どもたちがいたり、いろんな大人がいて、初めての場所、環境で、親もいないという状況に人一倍のストレスを感じるのはごく自然なことのように思いました。

また、次女は外では常識的にふるまうことがある意味こだわりのように私には見えていて、両親がいない場などでは常識的にふるまうことをとても頑張ろうとするように感じます。

ある一方では不安に弱く、ある一方では不安に耐える忍耐がとてもある。

複雑ですが、発達障害の人は場の空気や常識が全くわからないのではなく、むしろ不安に敏感なところがあるためそれらを必要以上に大きく感じ取ってしまうように私には見えます。

けれど、その感じ取ったものを具体的に”自分の不安感”だとつかみきれず、また、懸命に常識的にこだわろうとするが、実のところ正解もわからず、結果としては何となくの違和感にさらされつづけてしまう

その為にまた、得体のしれない不安を抱えやすく、ある方面ではまたその不安を回避しようとするため、方向性の違った忍耐が人一倍育って自分を苦しめてしまう。

そういったストレスの悪循環になりやすい。

という面があるのではないかと感じています。

ASD 他人や自分の感情が”わからない”と”つながらない”

今回、祖母をがっかりさせてしまった要因は、次女が初めてのイベントに不安やストレスを感じた結果、ひどく疲れてしまったということと、帰ってきて「楽しい!」を表現できないほどに疲れてしまったその感情が次女自身も何か理解できず、その不快感、不安感から愚図ってしまったことにあると思います

一般的には 楽しければ楽しいとすぐに表現できることが当たり前だ” という感覚が大前提にあると思うので、理解しがたいですよね。

ASDの子にとってはそういった自然に育っていくであろう、自分の感情の理解や、それを言葉で表現をするといった事が難しくなります。

これはいろいろな要因が含まれていると思いますが、一つに自他境界のあいまいさ(自分と他者が異なる存在であるという認識。心の境界線。)そして、もう一つに、情報の取捨選択の苦手さが関連しているのではないかと個人的には思ってます。

なぜなら、その二つによって、自分の感情の認識、そして、それが一つの感情なのか、複数の感情なのかが認識しづらくなると思うからです。

まず、自他境界のあいまいさがあると、他人の考え、自分の考えという明確な区切を持つことが難しく、それについて意識できることが少くなると思います

これは感情の種類やそれを言葉に表すとどういう言葉になるのかといったことを学習するのに時間がかかるということにつながると思うのです4

人間、誰でも、知らないことについて考えるなんてできないと思います。

誰だって、そういう世界があると知って、初めてそのことについて考えられるのだと思います。

ASDの子からすると、「自分の気持ちってなんだ?そんな世界があるなんて知らなかった!」そんな感覚かもしれないなと想像します。

そして、自分の中でも、入ってきた情報、湧き上がってくる感情について、取捨選択して認識することが難しいと、頭や心の中がぐちゃぐちゃ状態になってしまうのではないかと思います。

そういった理由で、ASDの子にとってはとても難しく、”得体のしれないもの”で、自分が抱えているものが楽しい感情と不安な感情、また、ストレスを受けて疲れたという状態だと気づくことが難しいのだと私は感じています。

つまり、”感情がわからない”というより混在している感情を一つ一つ取り出すことが苦手で、それをあらわす手段を学習することが難しいため、特定の感情に”つながらない”

その為、もやもやに対処ができずに不安として出てしまう(愚図る、怒るなど

実際、これは次女を見ていて日常的に感じることです。

対処法は感情の学習

何となく違和感を抱えて生きることが多くなってしまう発達障害の人。

”感情がわからない”の前に”感情”というものの存在を学ぶことが必要で、そしてそれを自分や他人とつなげていく学習がひつ用なのだと、次女を思います。

なので、それはこういう感情じゃないか?とか、こういった思いなのかな?とその子の感情の状態を聞き出したリ、感じたりして、周囲がその状況を表す言葉のヒントを少しずつ与えていってあげることが必要なのだと思います。

もちろん、その感情を抱えているのは次女自身なので、それが周囲から見たもの、感じたものと完全に同じになるかというと、そうではないかもしれませんが、表現方法、語彙の少ない今、必要なことは、本人が感情の状態を何となくでも把握できる練習と、それを表現できる語彙を集めることで、自分でも少しずつどういった感情がどういうもので、どういえば人に伝わるのだ。と考えていけるようになる
そのためのサポートが必要だと思います。

いわゆる、療育でしていることがそのためのものなのですが、大切なわが子と日常を過ごす親として、日常的に”何をどう意識してもらうために、どんなヒントを伝えてあげたらいいのか”について、私なりに感じていることを言葉にまとめてみました。

現在、3年生で、放課後デイサービス(療育の一つ)へ行っている次女は、だまだ感情の表現が乏しかったり、知っている言語で表現した結果、選ぶ語彙が違っていて誤解をよんだり、ということがたくさんあります。

けれど、感情をとらえて、表現して、伝えようとしてくれる気持ちは少しずつ育ってきてくれています。

そのおかげで、次女のわからないは少しずつ私に伝わってくるようになり、「そういう感情ならこうやって言うんじゃないかな?」とか、こちらもそれを表現する言葉を伝えてあげることも出来るようになってきていると思っています。

ただ、”感情がわからない”で済まさずに、周囲が、その子が何をわからずに戸惑っているのか、また愚図っているのかという視点を持つことで、少しずつ、自分で社会生活をするときのためのヒントを積み上げていってもらえばと思います。

はは
はは

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。よかったら、ほかのエピソードにも寄り道していっていただけると嬉しいです。↓

コメント

タイトルとURLをコピーしました