我が家の ちち は、あまり人の顔を見ません。対面で話をするときは特にです。自分でも自覚があるようで、私もたまに聞こえているのか判断しかねることがありますが、それについて話していると、その理由が何となくわかってきました。
今回はこの、人の顔を見て話せないことについて書いていきたいと思います。
脳内ヒントでは、ASD傾向のある我が家の ちち の話を通して発達障害の見ている世界のヒントになるかもしれないと思うことを書いています。
会話中に人の顔を見ることが苦手なのはなぜか
一度にいろんな情報を拾ってしまう

人の顔を見ることが苦手ってよく言っているよね。
私も昔は苦手だったよ。でも何となくその感覚とは違うみたいよね。

苦手というか見られないという感じだね。

そうよね。
人の顔を見られない理由として何か思い当ることはある?

情報量の問題かな?

情報量?

例えば誰かと話しているとして、相手の顔を見ていると、目の動きや身振り手振り、服やその他いろいろな情報があるじゃない?

うん。でも話してみたら相手の服装とか、髪型とか、表情とか、何も見てないことが多いわ。

そうなんやろうね。それが自分は気になるんだよ。
で、目からの情報が多くて、何も話が入ってこなくなる。だから視線をそらして、耳からの情報に集中してる感じかな?

あー確かに、集中して聞かないといけないと思ったときには視線外すもんね。
その集中モードが常にあるってことかな?

うん。そうかな。
聞くことに意識を集中してないとすぐに他から入ってきた情報へ気がそれて別のことを考え始めるから、何の話をしているのかわからなくなる。
だから基本的に外してるって感じかな?まあ、単純に視線を合わせるのは苦手だけどね。

なるほど。
そういえば、よく眉間にしわが寄ってるけど、そうやって気がそれそうになりながら話に意識を集中しようとしているからそうなるのかな?

そうなん?寄ってる?
それは全然そんなつもりないわー。

うん。寄ってる。よく寄ってる。なんか気分を害することを言ったかなってよく心配になるよ
しかも真剣な相談とかで寄ったりるするから、そんなこと相談するなよって思ってるのかと感じることあるわ。
今までの経験上、何となくそういうつもりではないんだろうと思って話してるけど。

そうなん?

うん、まったく気づいてないんやね。日常的にあるよ。
人によっては話したくないのかと誤解を受けることになるかも。

たぶん、真剣に聞かないとと思ってるんやわ。ただそれだけ。

そうか。相手のリアクションを受けとりやすい人は、そういう人もいると思っておいたほうが話やすいかもね。
しかし、それは疲れるなぁ。それで、もともと疲れてるようなときはしかめっ面が酷くなるんやね?

あー、話を聞くのがしんどいときはあるよね。
一日の中で嫌なことが何回も起きたりとか、疲れていたとか。
そういう時は全くはいってこないから当然意見も言えなくて困る。

そういう時は「今日はちょっと話聞くのしんどいから明日でもいい?」
とか言ってもらうって決めた方がお互いにいいかもしれないね。

そうね。聞いてみたら案外大丈夫になる時もあるけど、しんどいときはしんどいから、そうなったらずっと判断もできないし、そうやって伝えられると助かるかもね。
ヒント💡様々な情報が同レベルで入ってくるから会話以外の情報をシャットアウトしようとして視線を外している
ASD傾向のある ちち は環境や状況、人などの情報がすべて平等に入ってくるために、人の話にのみ集中することがとても難しいようです。
話している私の印象としては、意見を求めると黙り込んでしまうということがよく起こります。ちち は、そういう時になぜ今言葉が返せないのか、説明することはほとんどありません。
また、これは、発達障害で言う0-100思考なのかもしれませんが、問われると100パーセントの回答をしないといけないと思っているようで、そこにわからないという回答をすることは不誠実だという思い込みがあるようです。
しかし、そうしたことが原因で、話が途中で切られてしまうという印象を受けることになると、話しているこちらとしてはとても消化不良ですし、不機嫌にさせてしまったと罪悪感を抱くことになりがちだったりします。
お互いの性質をわかったうえで、質問の仕方、話し方を変えたり、伝え方の方法を確認しておくことはとても大切だなと感じます。けれど、それもなかなか難しい話だと思っています。常にそれを考えてお互いに接することができるとは限りません。
そういう時に心の余裕があるように、お互いに日ごろからメンタルや体調を整えておくという基本的なことに向き合うことが一番の近道なのかもしれないと思いながらうまくサイクルを作れないのが現状ですが…。
脳の情報処理がいっぱいいっぱいになる総量はその人、その時の疲れ具合や精神状態によって違うこと。最後まで苦なく聞ける人と、聞きたいけど無理な人もいること。いろいろな人がいます。その人によって、その理由を考えてみるのもいいかもしれません。
今回は人の顔を見ることができない要因の話から、人の話を聞くだけでも一度に認識する情報量が多くなってしまい、聞くことに集中することが大変な作業になるという人がいるということ、さらに、そこからコミュニケーションの行き違いも生まれやすいのではないかと考えてみました。
注記:
ちち は発達検査は受けておりませんが、ASDの次女の診断前の問診で、次女よりもその項目に共感することが多くありました。私もちち と次女はとても似ていると感じています。
ちち はASDのことを知り、その特徴やそれゆえの苦手分野を知ることで、これまで自分を必要以上に責めていたことに気づき、少し生きやすくなったと言います。
最も、これまでに自分の苦手に気づき、対処法をルーティーン化していくことで対策してきたというちち ですが、その特徴を知ることでまだまだ考えていけそうなことはありそうです。

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